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民明書房的プロレス用語解説

1 :お前名無しだろ:04/05/14 13:17 ID:MvMvNHkc
かけ

10 :ルビ〜ニョ♪:04/05/14 15:51 ID:0FfD6Rbm
スーパージャンプで貰えますか?

11 :お前名無しだろ:04/05/14 20:12 ID:6fmHiIYO
「茶乱」

中国は秦の時代、茶座村出身の名将軍、昆平(こんぺい)が編み出した戦法。
まず味方陣中に「昆平の鞄には若干の余裕がある」、つまり軍資金が底を尽きかけているという
噂を流した。噂が敵陣に広がった頃を見計らって、敵陣から見えるような場所で夜な夜な大規模な酒宴を催し続けた。「昆平の陣は軍資金不足で士気も下がりやけくそで酒に溺れている」、
敵軍はそう思い込み、ある日その酒宴の場に総攻撃をしかけた。しかし、兵士が飲んでいたのはみな茶だったのである。
「一、二、三、茶乱!(『一二の三で乱を片付け茶を続けよう!』の意)」の掛け声と両手を上げる合図とともに
昆平の兵は皆反撃に打って出た。不意を突かれた敵軍は全滅し、その夜、昆平軍は悠々と酒宴ならぬ茶宴を続けたという。
後世の兵法家は「これぞ戦の焦点なり」と昆平の兵法を絶賛した。

現在テレビ番組「笑点」において某落語家が奇妙な掛け声を観客に強制する行為は、実はこの故事に由来している事はあまり
知られてはいない

民明書房刊「ノア中継と笑点は日テレ」より


12 :ZERO−ONEこそが、最高のリアルファイト。 :04/05/14 20:30 ID:NX0S53B3
最高のイリュージョンであるZERO−ONEこそが、最高のリアルファイト。

13 :お前名無しだろ:04/05/14 21:04 ID:fZ7Z0RXR
土蔓奈火(どまんなか)

奴隷部族の兆周族の発祥の地「兆扇」で
広く歌われている歌。
兆周族は紫の馬を操り、宇魯(うろん)と呼ばれる携帯食を持ち、
長距離の遠征をもろともせず、
「土蔓奈火」を高らかに唄いながら戦いを挑んだとされている。
農耕民族の大把脂(おおはし)族とは、
しばしば馬の飼料調達の際トラブルがあったことが、
最近発掘された石版で明らかになった。
西夏文字研究の第一人者として有名な日系考古学者T耶麻元氏の、
兆周族の大臣「怨彰」とその側近「碁麻脂夫」の悪政によって
「荒」が滅んだとする説に、
日本考古学会の重鎮である厳虞大 金澤教授は、
「怨彰」は劉邦に匹敵する人物だと真っ向から反論しており
考古学会のみならず、一般マスコミをも巻き込んだ大論争へと
発展したことは記憶に新しい。

民明書房刊『四面楚歌〜「歌」に見る栄枯盛衰〜』より


14 :お前名無しだろ:04/05/14 21:18 ID:zRyWwHSg
風呂列酢(ぷろれす)
古来発祥の自称力自慢の大男たちが、裸で組みし合う見せ物。
格闘風情だが、勝負事としての勝ち負けは無く、全ては決め事
として、執り行われた。しかしその事実を知る者は数少なく、
風呂列酢を行う者たちの間でも、暗黙の約束事として、他言無用は
勿論、外部にその旨を漏らすことは決して許されなかった。
風呂列酢の開祖と言われる篥銅山(リキドーザン)は、この
裸行事を全国各地で行い、八百の大男たちを組み伏せ、その長に
治まったという。このことから、初めから決め事があるにもかかわらず、
さもそうでは無いように装おう様を「八百長」と呼ぶようになった。
「八百長」という言葉は相撲用語から来たとする説が一般的だが、
近年、風呂列酢八百長語源を推す学者たちも増えてきている。

民明書房刊『風呂列酢 男達の裸踊り』より

15 :お前名無しだろ:04/05/14 22:21 ID:zXdPBDaM
オモロイw

16 :ブライアン五月:04/05/14 22:23 ID:G0bcPVgC
これぞ良スレ。
最高w

17 :お前名無しだろ:04/05/14 23:17 ID:r24lYWEs
あげていいか?

18 :お前名無しだろ:04/05/14 23:27 ID:BDe6meMa
剣道家心(けんどうかしん)

古武道の一つである剣の道を志す者達の心構えののことである。
己の道をただひたすらに突き進むがごとく、己の意志を曲げず、
武道に精進し精神修養に励む。この道を志すものにとって
名誉とは頂点にたつものでなく、己自身を信ずることであり、
他人に束縛されるものでもない、己自身の器量、度量こそ誉れである
と「剣道長崎流宗家 桜陀嘉寿旺斎(さくらだかずおうさい)」は記している
その理念に基づき、心得を体得、体言するものが現在の「剣道家心」の免許皆伝
を授かり、奥技・秘技を駆使し時には猛獣をも馴らし得るまでに至る猛者も
存在するようである。

民明書房刊「古武術列伝 奥技を伝える者達」より
 

19 :ブライアン五月:04/05/14 23:33 ID:G0bcPVgC
>時には猛獣をも馴らし得るまでに

爆笑w

20 :お前名無しだろ:04/05/15 00:08 ID:zD2K2q0/
みんな良く考えるなあw

21 :お前名無しだろ:04/05/15 00:14 ID:wOdjqsvl
雲古那蟹師(うんこなかにし)

若き頃より古武術・錬守凛倶(れすりんぐ)の修行に心血を注ぎ、其の者は芭瑠世論那御輪火倶(ばるせろなおりんぴっく)
出場の栄誉を得るに至る。
其の後、幼き頃よりの夢であった神爾奔腐魯錬守(しんにほんぷろれす)入門許可を得る。其の者、常人を遥かに上回る
腕力を持ち、人を軽々と担ぎ、恐れられた事から耶陣(やじん)の名を冠すようになった。その後には、錬守凛倶三汁神(れす
りんぐさんじゅうし)の一柱に数えられる事となる。
暗御瑠裳暗(あんごるもあ)の大王降臨の季節、神爾奔夏の祭典にて、遂に天才と謳われた男・無糖刑痔(むとうけいじ)を
破り、優勝を我が物とする。歴史書から推察するに、ここがこの者の絶頂期であった。
兆周族に耶陣戦法の封印を強要され、木偶の坊と化す。其の後、耶陣戦法解禁も、上昇成らず。
神爾奔へと来襲した異民族迎撃へ参戦するも、流天、徒悪、暗黒肉弾魔人、腐痔多とたて続けに敗れる。其の頃より、
いつしか人は男の事を雲古那蟹師と呼び、恐れるようになる。
同じく錬守凛倶三汁神の一柱・那我多酸(ながたさん)は天敵であった。

民明書房刊「無常 雲古那蟹師の繁栄と衰退」より

22 :お前名無しだろ:04/05/15 00:55 ID:AERGrA5B
自慰腕蔵威魔楠(じいわんくらいまっくす)

古代中国、唐の時代には科挙と共にもう一つ、宮廷の衛兵を募集する試験があった。
それがこの自慰腕蔵威魔楠である。
毎年夏に行われたこの試験は、中国全土から腕に覚えのある男達が集まって来たという。
その試合内容たるや壮絶の一言で、時には死者すら出たと言われている。
この大会で勝利した者は、宮廷の衛兵に選ばれるだけでなく、
その後も皇帝の厚い寵愛を受けることが出来、必ず将来出世できた。
尚、745年の楊貴妃の誕生日に合わせて催された自慰腕蔵威魔楠は、
七連戦という史上最大の苛酷さでもって行われた事で有名である。


民明書房刊「中国の試験大全」より

23 :お前名無しだろ:04/05/15 01:22 ID:3lstOZWV
「云 阿霊陀南運 」うんあれだなうん

穏照経磨倶真弔宗(おんしょうきょう まぐまちょうしゅう)
理揆教典(りききょうてん)第五十五万七千八百参拾壱巻の序に記されている
磨倶真神(まぐましん)崇拝の経文の一部である。
「云 阿霊陀南運」とは「磨倶真の神よ我等を貴方の身許へお導き下さい」
と和訳され、磨倶真弔宗信徒の信仰根本となる聖なる経文であり、磨倶真神への
絶対的帰依の象徴としての位置づけをされている。
理揆教典(りききょうてん)第五十五万七千八百参拾壱巻の一部抜粋
「云 阿霊陀南運 陀無留慈咏法界 理揆羅理唖津斗 云 迦南坐輪 阿霊陀南
 阿霊 云 御磨慧之迦磨世衣濡邪無存 ・・・・」以下略
(うん あれだなうん だぶるじぇいほうかい りきらりあっと うん かなざわ
 あれだなあれ うん おまえのかませいぬじゃないぞ)

民明書房刊「穏照経磨倶真弔宗理揆教典改訳版解説」より 



24 :ブライアン五月:04/05/15 03:03 ID:4M270SVT
今日、いちばん笑ったのはこのスレ読んだとき。感謝。
職人さんがプ板に戻って来たっつーかんじ。
ブックマークに登録したっすw

25 :お前名無しだろ:04/05/15 09:07 ID:/Rps6yUI
駄不流痔永(だぶるじぇい)

かつて格闘演武の世界で革命を起こした戦士、嘲臭(チョーシュー)が
その波瀾に満ちた人生の晩年に起こした第二の革命。別名、世界大和。
大国、真二本、打倒を掲げ、数々の英傑を集めたとされる。
嘲臭は思い込みの激しい性格で「怒膣内(どまんなか)」「これだけの千両役者を集めた国は無い」
などと自画自賛するも、集まった者どもは見かけ倒しもいいとこの粗塩ばかり。
様々な政策を打ち出すも、ことごとく失敗。役者が稽古中に死亡するなど、
やることなすこと全てが裏目に。やがて、配下の者に給金を払うことも
ままならず、人材がひとり、またひとりと嘲臭の元を去っていった。
それでも嘲臭は「俺が生き残れば、それが駄不流痔永」とウソぶくも
信頼していた一番の懐刀、塩介の離反。更には最もちょう愛し、嘲臭最後の
弟子と言われた、奈加志摩薫(なかじまくん)にも去られてしまったことが
決定打となり、革命は失敗に終わる。しかしその後も嘲臭自身はひとり革命
運動を続けるもののかつての英気は失われていたという。
これらのことから、何をやってもウマくいかない。やることなすことが全て
裏目に出ることを「駄不流痔永だけは勘弁して下さい」の語源になった。

民明書房刊 「新説!駄不流痔永」より

26 :お前名無しだろ:04/05/15 10:27 ID:rUarQ/Bz
WJネタが多いな

27 :お前名無しだろ:04/05/15 10:52 ID:O/8NvwZ0
マジ最高!

28 :お前名無しだろ:04/05/15 10:54 ID:RgWPX+Rh
(・∀・)オモロイ!

29 :お前名無しだろ:04/05/15 12:15 ID:aE31use8
羅利圧刀(らりあっと)
(1)天下無双の宝剣。
渡来人、須鍛坂泉(すたんはんせん)の作。
巨人、餓鬼すら斬ると伝えられる切れ味と、豪壮かつ美しい刃文からなるその作風は
当時の武士の憧れであった。
柄の入る部分に「上須鍛(うえすたん)」の銘が刻まれている。
 
(2)坂泉の弟子たちによる刀剣、また模造刀
坂泉の羅利圧刀は後世の刀剣の作風に大きな影響を与えて多くの流派を生む
塩州の刀工長臭(チョシュ)は尺を短くし低い技量でも使いやすくした脇差、利奇羅利圧刀を鍛え弟子たちに広める。
また坂泉が居を構えた喘州では坂泉自身より弟子の小羽伺(こばし)に羅利圧刀が秘伝が継承される
小羽伺はもっともよく坂泉の作風を理解したとされるが、師すら越えるために無理をし
鍛冶場での怪我がもとで自身が納得する羅利圧刀が打てなったと伝えられる
戦国の世のならいか塩州・喘州はともに分裂し羅利圧刀の流派は拡大する
塩州を出奔、分裂により衰えた喘州に入った、孤児枯地(こじこじ)などは
竹に銀箔を巻き刀のようにみせかけた竹光を「坂泉直伝の羅利圧刀」であると称していたが
あくまでも体裁を整えるための道具であり、刀ではないため攻撃力は低い
 
民明書房刊 「武芸大全〜刀剣〜」より

30 :お前名無しだろ:04/05/15 12:17 ID:wBxgiJ+h
>>29
螺裏亜斗(らりあと)

明朝末期、中國北西部では現代の総合格闘技の基礎とも言える格闘技『腕競(わんきょう)』
と呼ばれる競技が存在していた。
勝者には地位も名誉も富も手に入れられる、貧困家庭の子供はスパルタ教育を受け
この競技に出場し勝つことが義務付けられているようなものであった。

出場していた全ての選手がスポーツマンシップにのっとり正々堂々と勝負していたかと
言えばそうではなかった。他の者の目の届かないところで目に指を入れたり性器に
危害を加えると言うのは日常茶飯事であった。

そんな中、反則技を一切使わずに己の腕一本で腕競のトップに上り詰めた男がいた
「趙(ちょう)」と名乗るその男は自分の腕を相手の首筋に当て破壊する殺人技
『螺裏亜斗』という技でたちまち腕競のトップ競技者となった。

趙の家庭は貧困家庭であったが腕競から得た収入で一気に上流階級に名を連ね
地位も名声も富も手中に収める。

ちなみに現在のプロレスで使われている必殺技『ラリアット』は言うまでも無く『螺裏亜斗』
が語源である。

民明書房刊「中国歴代格闘技全書」より
ttp://magma.s40.xrea.com/index.php?%CD%E6%CE%A2%B0%A1%C5%CD%28%A4%E9%A4%EA%A4%A2%A4%C8%29

31 :ブライアン五月:04/05/15 12:18 ID:H4C17JBu
高のイリュージョンであるZERO−ONEこそが、最高のリアルファイト。

32 :お前名無しだろ:04/05/15 13:26 ID:xGEIo3Tz
奈仁誇螺 多枯誇螺(なにこら たここら)

法螺をふくの「螺」は誇螺(こら)が語源であるというのが
現代ではよく知られている。
誇螺は読んで字のごとく、「法螺をふいてまで自己を誇る」の意である。
隣国「是炉腕」の覇塊王に接見した際、覇塊王とその側近芳愉鬼(よしゆき)に
「荒」の惨状を侮辱された怨彰が精一杯に強がって発した言葉。
怨彰のお供の雅賛(まささん)は怒りのあまりぷるぷる震え、
その震えは生涯治まることはなかったという。

なお、余談であるが「家計が火の車」という表現の「火」は
財政破綻し、わずか一年で潰れた「荒」の戦闘歌「土蔓奈火」
の「火」が語源であることはあまり知られていない。

民明書房刊「声に出して読みたい兆扇語」より


33 :ブライアン五月 ◆DietT3mf1M :04/05/15 13:31 ID:4M270SVT
今日もおもしれーw
永田関係リクエストしていい?

34 :(○^J^○) :04/05/15 13:37 ID:MBLwthRd
(○^J^○) 自分でネタを作れないくせにリクエストとは
        さすが知的障害者の珍日ヲタでし
        はやく死んで欲しいでし

35 :お前名無しだろ:04/05/15 13:39 ID:P6JKqLJ8
腐汚(ぷおた)

 裸の大男たちの組みし合いに魅入られた亡者。長髪、肥満、眼鏡、童貞などの
特徴を持ち、女性と縁遠い者たちが、陥る業の道でもあると言う。
 物事の考え方が保守的で頑固。自らの贔屓の勢力には狂信的な支持を仰ぎ、
反勢力には徹底的な誹謗中傷を浴びせかける。裸男たちのためならば、
人の迷惑など顧みない図々しさも合わせ持つ。
 一般社会では日陰者扱いではあるが、本来、気が小さく、内向的。
自らの小心度合いを大男たちの活躍ぶりにスリ変えて、精神的享楽を得ようと
必死に生きる愛すべき存在でもある。

民明書房刊「腐汚 〜その非業なる人生〜」より

36 :お前名無しだろ:04/05/15 15:25 ID:O3w5MedL
出重詠(でええい)

古来より、薪仁奔地方に伝わる戦の出陣・戦地での更なる意気高揚の時等に
大将の合図とともに揚げる言葉を「出重」でえ と言い出陣を重ね、意気を
高めるという意味があり、その「出重」の歓声を発することを「出重詠」と
言う。江戸時代に入り、この「出重詠」が戦勝祈願の祝詞として語り継がれる
ようになり、その儀式を司る主として「那賀太家一族」ながたけいちぞく 
に代々伝承された。現那賀太家当主十八代目「那賀太 幽磁」ながた ゆうじさん
は薪仁奔地方のみでなく全国各地の戦場跡にてこの祝詞を詠じる事を生業
としている。
「出重詠」によく似た祝詞に「辺恵詠」(ぺええい)というものもある。

民明書房刊「地方風土記 薪仁奔地方伝記その2 語り継がれる出重詠」より

37 :お前名無しだろ:04/05/15 15:33 ID:/RkfcV93
やや斜め後ろのネタが多いのが悲しい

38 :お前名無しだろ:04/05/15 16:27 ID:IwsMDUH7
滋亞萬(じあまん)

戦国時代、武将達の間で流行した娯楽の一つに
重さ三十貫(100kg近く)を越える巨大な槌を投げる槌投げ(つちなげ)と言うものがあった。
最初は小規模なものであったが、益荒男の豪快な様を目にした時の将軍が槌投げを大層気に入り、御前試合を執り行う事となった。
全国の腕自慢が一同に集い、思い思いの槌投げを披露したが
その中において将軍を特に驚嘆させたのが滋亞萬(じあまん)と言う辺境の野武士であった。
滋亞萬は巨大な槌を抱えると後ろに放り投げ、槌を抱えたままその体勢を維持し続け、観客はおろか参加した武士達をも驚かせた。
その怪力ぶりに感心した将軍は滋亞萬に御槌(ごつち)という姓を与え槌投げの家元に任命し
御槌滋亞萬は御槌道場で槌投げの指導に務めた。
また、槌投げの技法は鎧を着込んだ重厚な武士を倒すのに適していた為
槌投げは戦における徒手空拳に盛り込まれ、滋亞萬の手法は滋亞萬投げと呼ばれ、敵国に恐れられていたと言う。

民明書房刊『戦国時代の徒手空拳とその由来 第2巻』より

39 :お前名無しだろ:04/05/15 16:59 ID:J50DfK0J
>>38
上手い。座布団2枚

40 :お前名無しだろ:04/05/15 17:16 ID:w6Tyqq+E
八須留(はっする)

 古代日本において、八人の男が須佐之男命(スサノオのみこと)の扮装をし、
相撲をとって神前に奉納した。当時の相撲は現代のものとは違い、突き、蹴り、
関節技なども認められ、むしろ今で言う総合格闘技に通じるものがあった。
 この荒々しい競技を神前に奉納し、須佐之男命の御霊を留め置かんという意味
を込め、この神前相撲は八須留と呼ばれ、代々高田家の神主がこれを取り仕切って
来た。八須留に関して現存する最古の史料は奈良時代初期のものだが、これによれ
ば、八須留は勝ち抜き戦で、渡来人も参加することができ、ある年の八須留では、
高田家と渡来人が結託し「悶須汰軍」と名乗って日本人と激闘を繰り広げたという、
その年「悶須汰軍」を倒して八須留を制したのが、稚欣鞍弩朴玖という力士で、一説
ではこれは協力して「悶須汰軍」と戦った二人の力士の名を合わせたものとも言わ
れる。稚欣鞍弩朴玖が果たして一人の人物か二人の人物だったのかを証明する史料
は未だ発見されていないが、「悶須汰軍」を倒した稚欣鞍弩朴玖が喜びを表すため
に、土俵の上で「八須留!八須留!」と雄たけびを上げたということは、前述の
資料だけでなく、郷土史などいくつかの史料に同様の記述が見られる。


民明書房刊『神道と相撲 その歴史的意義の研究』より

41 :お前名無しだろ:04/05/15 17:29 ID:Fx42+vGV
印泥(いんでぃ)

中国の諺。
泥の上に描かれた印はすぐに消えてしまう、転じてすぐに消えてしまう儚いものの意。

民明書房刊『中国の諺辞典』より

42 :お前名無しだろ:04/05/15 17:41 ID:Fx42+vGV
非射-る-(ひいる)
相手の都合の悪いところばかり責める事、相手の弱点ばかりを射抜き手柄を立てた弓矢使いの故事から
米備平す(べいびへいす)
米の蓄えが足りなくなってきた時、米の分配を公平に行う事
転じて、公正な人、善人の例え

民明書房刊『民明辞典』より

43 :お前名無しだろ:04/05/15 17:50 ID:nWPCMovw
蕪璃坐娃堵(ぶりざあど)

唐代、山水画の名家であった邇穎(じえい)、爾嬰(じえい)、蛇孔諏(じゃくす)の
三兄弟が、外国商人の買付依頼の為に港市に派遣した
亥伊酢香(いいづか)と称される代理人に、
盗賊等の襲撃に見舞われた際の護身術として伝授した狡滑拳法。
失神を装い、油断した相手が背を向けた瞬間に飛びかかり、
首を絞め落とす睡浬簸(すりぱ)という絞殺術や
自分の頭部が相手の脇に滑り込むように密着し、遠心力によって
後方に投げ飛ばす慧駆州斧櫓威駄(えくすぷろいだ)という投げ技は、
次第に蒙古の琵駆斗屡(びくとる)族や阿騎弥馬(あきやま)族、
毬禎(きゅうてぃ)族にも伝播して
燦葡(さんほ)という関節技・絞め技・投げ技を複合した格闘術に変貌を遂げ、
これが後にロシアの格闘技・サンボへと発展するのである。
また、清朝の時代にその名を馳せた武術家・蘇化子は、
蕪璃坐娃堵を参考にして酔拳を編み出したのではないかという説もある。

44 :お前名無しだろ:04/05/15 18:20 ID:61qyO0D+
黒古魔(くろぶるま)

 格闘演武において、闘士たちが着用した衣装。古来の猛将、古魔王が黒い
腰簑(こしみの)を着用し、数々の武勇を挙げたことから、彼の強さにあやかろうと
時の裸闘士たちが着用しだしたのが始まりと言われる。本来、全裸で行われていた
裸踊りであったが、黒古魔の着用によって、裸闘士たちの股間がより強調され、
「裸の時より扇情的」「ふくらみや陰影がたまらない」と、客人たちに大好評。
黒古魔は裸闘士たちの間に瞬く間に流行して行った。しかし、近代に入り若い闘士
たちには黒古魔を嫌う物が続出し、着用を拒否。長尺股引(ろんぐたいつ)などと
いう下半身を覆い隠す衣装をまとう者が増えていった。
狂信的な黒古魔愛好者としても有名だった徴集(ちょーしゅー)は最後の弟子と
言われた中地間(なかじま)の初陣にこの黒古魔の着用を、猛烈に推しつけたが、
中地間は頑なまでにこれを拒否。時代の流れとともに黒古魔も歴史の中に
埋もれて行こうとしているという。

民明書房刊「股間の美学」より

45 :お前名無しだろ:04/05/15 18:52 ID:J50DfK0J
覇州留(はっする)

古代中国、清王朝時代。当時の皇帝は乱れていた国政を1つにまとめ上げようと政策を打ち立てた。
もちろん広い国土の清であったのでまとめる事は困難を極めた。そこで当時の国防長であった
御賀倭(オ・ガワ)が仕切り、州全体を1つに留め、世界を制するとの意味から覇州留と名づけられた。
他国にも覇州留を広めようとした御賀倭は、両手をグーの形にして腰に当て、「覇州留!覇州留!」と叫び
PRした。そして見事に成功し、1つになり、他国にも真似をするところも出てきた。
我が日本にも広まり、挙仁藩の長でもある基世胎(きよはら)も真似をするまでに浸透した。

民明書房刊『中国の政策〜覇州留』より

46 :お前名無しだろ:04/05/15 19:31 ID:aE31use8
黒猫剋斗(くろねこかつと)
体を物にぶつけても触れてもいないのに、額にカミソリで切ったような切り傷ができ流血する現象。
小さな旋風によって起こる自然現象とされるが原因は定かでない。
かつては、麦酒腹の黒い猫の仕業・黒猫の祟りと恐れられた。
 
民明書房刊『脅威の自然現象』より

47 :お前名無しだろ:04/05/15 20:14 ID:zD2K2q0/
異様に漢字の多いスレだなw

48 :お前名無しだろ:04/05/15 21:30 ID:J50DfK0J
潮臭離器(ちょうしゅうりき)
中国の諺。
当時は海水で食器を洗っていた為、食器が塩(潮)臭く、鉄でできた器は、錆び付いてしまい、
使い物にならなくなった。もちろん、皆、鉄の食器だけは「勘弁、勘弁」といって敬遠した。
そのことから無くてもいいものの意。


49 :改訂版:04/05/15 22:01 ID:J50DfK0J
潮臭離器(ちょうしゅうりき)
中国の諺。
当時は海水で食器を洗っていた為、食器が塩(潮)臭く、鉄でできた器は、錆び付いてしまい、
使い物にならなくなった。当初は丈夫で話題を集めたが皆、鉄の食器だけは「勘弁、勘弁」といって敬遠した。
そのことから「無くてもいいもの」の意として潮臭離器がうまれた。

 民明書房刊『中国の諺大百科』より

50 :お前名無しだろ:04/05/15 22:15 ID:QFPXL18n
珂那阿弥出巣末地(かなあみですまつち)

古来中国において、部族の長が己の力を誇示する為に行ったとされる決闘方法。
他者の介入を断ずる為、お互いが鉄の柵により囲まれた決闘場に入り、雌雄を決する。
しかし、あまりにも危険な決闘方法の為、後の皇帝により禁止された。
その後、古代日本にもこの決闘方法が流布し「刑事末地(けいじまつち)」と呼ばれ合戦の際に用いられた。

ちなみに現在の牢屋は、「刑事」が逮捕の「末」に送る「地」という意味として、
この決闘方法が起源となっている事はあまり知られていない。

民明書房刊『大門が狙っている〜fromヘリ』より

51 :お前名無しだろ:04/05/15 22:22 ID:p9P0FCMH
皆さんうまいねー

52 :お前名無しだろ:04/05/15 22:30 ID:77Y3Zi1h
巖愚裏胤(がんぐりおん)

江戸時代、徳川幕府に仕えた
隠密忍者・郭光雄(かくこうゆう)が左瞼の内部に隠し持った武器。
郭は、忍者としては定番の全身を纏う黒装束ではなく、
通気性と動き易さを徹底的に追求する為に
局部を保護する黒い三角巾と白足袋のみという軽装姿で、
垢や日焼などによって褐色に変化した地肌は、
そのまま夜景と同化し身体を隠す事を可能にした。
また武器は基本的に使用せず、腕力と瞬発力に依存した
蠅守破亞斗(はいすぱあと)と呼ばれる殺人術で幕府の反逆者達を始末した。
巖愚裏穏は、周囲に粘土状の毒液をまき散らし、
集団戦を回避する為に使用される。


民明書房刊『世界の変態忍者図鑑』より

53 :お前名無しだろ:04/05/15 22:30 ID:byOg3tkW
御冷駕田植(おれがたうえ)
古くは中国、周の時代。北部に国を構え、周王朝を脅かしていた野蛙(のあ)という独立国家が有った。
野蛙の国は武力こそ周王朝にひけをとらないが、大陸北部という寒冷地の為、
稲作を始めとした農作物の収穫量はとても低く、一部の上流階級以外は、毎年の様に飢饉が起きていた。
そんな時、野蛙の国の皇、三沙和(み・さわ)より稲作の現状を打破する様、指令された、秩父の汰胡衛(た・うえ)は、
火山より噴き出た土は、熱を逃がしにくいという発見をし、見事安定した収穫の出来る土壌を作り出した。
三沙和は「御冷駕田植」(冷えを凌駕する田植が出来る)と、大変喜び、汰胡衛を士官として迎えた。

民明書房刊「古代の農耕文化」より抜粋

54 :お前名無しだろ:04/05/15 22:43 ID:HpYfxOY6
ソレっぽい文章が書けないから割って入れないのが残念。それにしても
力作揃いだな。濃安岳和我血なんて「お前宮下だろ?」ってくらいイイ。

55 :お前名無しだろ:04/05/15 22:43 ID:AEq9eG7J
このスレを読む時よかったと思うこと。
テレビブロスのなべやかんのおたく連載を我慢して読んでいたことで
民明書房の存在を知っていたこと。
当時の小学生から書店や集英社に民明書房について問い合わせが相次ぎ、
ジャンプにクレームがきたという豆知識をここで書けたこと。

56 :お前名無しだろ:04/05/15 22:44 ID:Tbb3/SO2
>>52
隠密忍者ワロタ

57 :お前名無しだろ:04/05/15 22:50 ID:byOg3tkW
周詫阿亜紗湖(しゅうたああさこ)
中国、いんの時代末期、いんの皇帝暗殺を企て、見事に王朝を崩壊に導いた農民の若者が居た。
その者、名を亜紗湖、字を紗斗琉と言い、周王朝建国への立役者となったが、建国と同時にその姿を消した。
周王朝の人々は一人の英雄の失踪に、声を上げ泣き、自分達だけが幸せになってしまった事を、亜紗湖に詫びた。
民明書房刊「中国、隠された裏歴史〜最高の痛み編」より抜粋

58 :お前名無しだろ:04/05/15 23:41 ID:Fx42+vGV
『達譜』(たっぷ)

古くは明の時代、戦における情報交換には太鼓が用いられていた。
各国ともに三里先まで届くと言われる太鼓の達人を雇い、彼らの演奏により情報を伝達していた。
その演奏方法を記したものが『達譜』である。相手国に悪用されぬように単純ながらも模倣は困難
正に、達人にのみ演奏が可能な曲目であったと言う。
初期においては単純な号令のみであったが、後期においては各国ごとに暗号化され、高度な情報戦が行われていた。
これが後のモールス信号、戦争における情報伝達の暗号化に繋がったのは言うまでもない。

その殆どは清の時代への移り変わりの中で姿を消していったが、その中で唯一残されたのが、敗戦を認め、撤退を命ずる「敗北の達譜」である。
しかし、それは戦によって使われたのではなく、清の皇帝と識者達によって改良、考案され
民間レベルで、犯罪や諍いにおける被害を最小限に食い止める為に、敵意のない事を表し、見逃してもらう為に用いられた
簡略化された、庶民の為の緊急避難方法であった。
太鼓のかわりに相手の体や地面を三回叩くと言うシンプルなもので
広い中国においては言語も様々、その中において死を防ぐ共通の手段として「敗北の達譜」は多いに活用され
これが後々の格闘技における「タップ」の原型となったのは言うまでもない事である。

民明書房刊『中国王朝悠久の歴史〜戦における情報伝達〜』

59 :お前名無しだろ:04/05/16 00:13 ID:/54r635O
蛙舟(のあ)

御大・場馬の庇護下の武将、緑豚蛙(ミサワ)が、御大の死後、独立蜂起した
新興勢力。「今風」「自由」を旗印に新風を巻き起こすべく旗揚げ。
緑豚蛙の言う「今風」とは「楽をすること」を真理とし、稽古厳禁。暴飲暴食を
美徳とし、配下の武将達はみな、見る間に肥満化。屈強さを売り物とする
益荒男にあるまじき、その様は、城下町の町人たちの嘲笑の的でもあった。
しかし、本来、決め事を、さも無きがごとく装おう、肉体演芸の世界において、
彼等のだらしない肉体は、不摂生の真実の姿とされ、嘘偽りの無い様から
「蛙舟だけは真実(のあだけはがち」の言葉が生まれたという。

民明書房刊 『蛙は何処へ行った。豚は何故太ったのか』より

60 :お前名無しだろ:04/05/16 00:48 ID:0GKOFbJS
卦実刈滋陰図(けみかるじーんず)

時の二大武将の猪木・馬場の影響が薄れてきた明後期に独自の魅力で
一部民衆の支持を受けていた野阿(ノア)党の党首 見嵯倭(ミサワ)が虎覆面として
地下活動を行っていた時代より愛用している普段着の種類の事。
世間一般では農村部又は地方都市の勘違いをした少年ぐらいしか着用する事は無いが、
見嵯倭(ミサワ)は、晩年までこの卦実刈滋陰図を愛し民衆の前でも恥ずかしげも無く着用し続けたと言う。

民明書房刊『酔って候〜無断飲食は蜜の味』より

61 :お前名無しだろ:04/05/16 00:54 ID:s45tqCor
夢雲去人(むうんさると)

魏呉蜀の争いが熾烈を極めた頃、軍師が考えた戦術が戦局を大きく左右した。
軍師は大勝利を収めれば多大な報酬と名誉を手に入れたが
敗走するようなことがあれば命を落としかねない、そんな重圧とも闘っていた。
歴史的にも有名な軍師・無陶(むとう)は霧の多い山岳地帯で
風上から特殊な香を焚いて毒霧と変化させ
その幻覚作用により相手の戦意は喪失、たやすく勝利をものにした。
雲が消える頃にはまるで夢を見ていたかのように人が消え去るその戦術を、
人々は敵味方関係なく「夢雲去人」と呼んだ。
なお体操の鉄棒種目の金メダリスト・塚原光男の9・90をマークした世界初の月面宙返りに
当時のライバルであった中国の選手がその夢のような光景に「夢雲去人」とコメント、
これが現在のムーンサルトという呼び名の発祥であることは諸君もご存知だろう。

民明書房刊『世界戦術大全〜歴史を変えた戦術家たち〜』


62 :お前名無しだろ:04/05/16 01:14 ID:ZIkfLxwR
擬味付(ぎみっく)

太古より戦士が舞台に上がる前、衆人より目を引くために
着せられた衣装・言動の型。文字が示す通り、戦士の
本来の出生とは全く関係ないことも少なくない。

主な型は、魔神型・酋長型・人は誰でも嘘つき型ほか。

これらを考案するのは真土(まつち)と呼ばれる、
名家の士であり、真土名家(まっちめいか)と呼ぶ。
また、真土名家は戦いの流れを人為的に作る
暗繰(あんぐる)も考案する重責を持つ。

民明書房刊『誰も知らなかった風呂列酢と格闘技の真実』
(著:只死星田中)




63 :お前名無しだろ:04/05/16 01:26 ID:FOz8Y470
>>59
蛙舟、イイね。

64 :お前名無しだろ:04/05/16 01:34 ID:0B01vHLl
ちょっとノアをちゃかし過ぎじゃないですかね?

65 :お前名無しだろ:04/05/16 01:38 ID:dq+sWQ9I
「天敵」について教えてください。

66 :お前名無しだろ:04/05/16 01:40 ID:G5elIHBa
霊付離(れふり)

 古来から中国では神に豊作を祈願する神事として猛者たちが
格闘演舞を行っていた。その際、トランス状態で神との交信を行う
依代(よりしろ)役の少女に神を降ろす、及び還す儀式を霊付離と呼んだ。
 現代では格闘演舞の神事としての性格は薄れたが、その名残が
審判の呼称である「レフリー」に受け継がれている。広く用いられる
「レフェリー」と言う単語はこの「レフリー」が訛ったものである。
 また、格闘技中継において一見全く格闘技に興味が無さそうな
女性ゲストをリングサイドに招き試合中に無駄な悲鳴を上げさせるのは、
依代役の少女の名残であると現在は考えられている。

民明書房刊「格闘演舞の発生と発達(II)」より

67 :お前名無しだろ:04/05/16 08:55 ID:ZYJvezMi
麗我守(れがーす)

清朝末期、纏足と共に貴族の間で流行した装飾具の一つ。
主に脛当てである。最初はただの布を巻いたような物が多かったのだが、
やがて家の格により、家紋や文字、装飾を施したようなものが多くなった。
中でも中国東北部は那賀田産の青色に白いフサフサをつけた麗我守は、
最高級品として、貴族達の間でもてはやされた。
尚、日本プロレス界において佐山サトル氏が初めてレガースを導入したが、
これはアメリカの野球のキャッチャーがつけていた物を参考にしていて、
ここでいう麗我守とはまったくの別物である。

民明書房刊 「格闘技とその装飾具にまつわるエトセトラ」

68 :お前名無しだろ:04/05/16 09:11 ID:QhmbXyvq
男塾をはじめとする宮下漫画を読んだ事がなくて書き込んでいる人もいるかも。

69 :お前名無しだろ:04/05/16 09:21 ID:B8ssJvep
>>68
オレは男塾あたりはリアルタイムだけど、最新の漫画は全然知らない。(ワンピースとか・・・)
だから、いつかプ板にそっち系でネタスレ立っても理解できないだろうなぁ。

70 :お前名無しだろ:04/05/16 11:54 ID:KU7eJ4t4
>>69
俺も似たようなものだからこのスレ理解できん

レスラーをHUNTER×HUNTERの念系統で判断するスレ
http://sports7.2ch.net/test/read.cgi/wres/1079777899/

71 :お前名無しだろ:04/05/16 16:23 ID:yTQAD41w
age

72 :お前名無しだろ:04/05/16 18:22 ID:x2j/D2uI
この程度でワラタとか
プ板は本当に瀕死状態だな・・・

73 :お前名無しだろ:04/05/17 03:59 ID:cSCxkv0G
>>72
それはあんたの胸の内にしまっておく事
わざわざ書き込むなよ

74 :お前名無しだろ:04/05/17 10:46 ID:sIBzEu9f
もちつけ

75 :お前名無しだろ:04/05/17 13:28 ID:KxpNClmH
駄負流次永(だぶるじぇい)

中国の諺
世の中に必要でないものは、必然的に人々の心から流され永遠に現れることは無い
の意。


76 :お前名無しだろ:04/05/17 17:18 ID:exH2dsGA
禄妊経愚(ろくにんたっぐ)

明王朝で生まれた各々の軍より三人ずつを選出し行う武闘形式。
なぜか両軍の大将は討たれないため、格や面子を重んじる
将たちの間で好まれる。

国の中央ではなく、地方での戦いはほとんどと言っていいほど
この形式で終わることが多く、中央での一騎打ちへと流れ込んでいく。
手抜きをしても、地方であるため武将の評を落とすことは無い。

例外として、大将を討たねば戦いが終わらない、
伽不転不負留(きゃぷてんふぉーる)と呼ばれる形式も存在する。

民明書房刊 「格ミシュラン」

77 :ブライアン五月 ◆DietT3mf1M :04/05/17 18:21 ID:al3rFp5B
馬獲流旅異遣流(バトルロイヤル)

大勢の大男が一頭の馬をめぐって争う神事。
神事としての歴史は古いが、もっとも盛んに行われたのは古代馬王朝。
高洛宴(こうらくえん)と呼ばれる宗教施設において、
年始を祝う行事の役割を果たしたことは言うまでもない。
当初は一人の勝利者が名馬を所有するという栄誉の影で、
大勢の敗者が異国への派遣という名目で事実上の島送りにされるという過酷なものであった。
後に島送りの習慣は無くなり、馬ではなく賞金をめぐる形式へと変更。

なお、「無事これ名馬」の格言は、この荒々しい祭事において、
馬の無事を確認することで神官・観衆が安堵したことが由来。

民明書房刊『祭事における格闘演舞』より〜



78 :お前名無しだろ:04/05/17 19:03 ID:C06OVLV1
>>72
その台詞とともに、みんなを唸らせるネタを書き込んでいればカッコいいんだけどな。
批判だけなら馬鹿でも出来るよ。

79 :1:04/05/17 19:15 ID:sIBzEu9f
俺のためにあらそわないで〜(;;)

80 :ブライアン五月 ◆DietT3mf1M :04/05/17 19:23 ID:al3rFp5B
んだんだ。
EYEこそすべて

81 :お前名無しだろ:04/05/17 19:32 ID:46GLu3Zu
>>72 が瀕死

82 :お前名無しだろ:04/05/17 21:32 ID:3VUVi1/3
落栗(らっくり)

「荒」の武将たちの訓練方法のひとつに、イガの付いた栗を四方から投げさせ、
それを剣で弾き返すというものがあった。失敗して地面に栗を落としてしまう
ことは武将たちにとって大変な恥辱とされた。
ある時、「荒」の首領である「怨彰」自らこの訓練に挑んだが、たまたま
「醜腐炉」族の語り部が見物に来ていたため、見栄っ張りの「怨彰」は止めるに
止められず延々と続けていたが、疲労も限界に達し、もう栗を落としても
いいと思い、「もう落栗(らっくり)したいよ」と叫んだことから、「荒」では、
困難なことを避けてゆっくりくつろぐことを“らっくり”と言うようになった。

現代でもwjスレ住人が落ち込んだ人などに、「まあ、ラックリしていけ」と
声をかけるのはこの名残である。

民明書房刊『落栗と荒、跨ぎながら』より

83 :お前名無しだろ:04/05/17 22:19 ID:rGiLGA3h
展乱寺逢(てんらんじあい)

古代中国では、兵士達がいかに武術の訓練をしているかを皇帝が直に見る展乱寺逢
という事が行われていた。各地方の腕自慢が神聖なる寺院に集まり、披露した。
特に有名なものが、光烙園(こうらくえん)で行われた展乱寺逢である。
中国最大の軍隊、拠陣軍の大将、那賀史摩(ながしま)は皇帝が見ているという大舞台の中で、
作余納裸保無濫(さよならホムラン)という心を裸にして無の状態する大技を披露した。
これには皇帝も驚きのあまり、立ち上がって拍手し、最大級の賛辞を送った。
那賀史摩と対戦したライバル武羅谷磨(むらやま)はショックが大きかったのか、「あれは反則だ!!」
とうそぶくことしかできなかったという。
これにより那賀史摩は「身守多亜(みすたあ)」(アジア最大の国、中国の多くの人を守るの意)の称号を
授かり、拠陣軍に那賀史摩あり。と中国全土に知らしめた。

  民明書房刊「中国、拠陣軍伝説の那賀史摩」より


84 :お前名無しだろ:04/05/18 02:04 ID:4b8Oy11M
巣遁貧愚(すとんぴんぐ)

明朝末期、中國北西部では現代の総合格闘技の基礎とも言える
格闘技『腕競(わんきょう)』と呼ばれる競技が存在していた。
勝者には地位も名誉も富も手に入れられる、貧困家庭の子供は
スパルタ教育を受けこの競技に出場し勝つことが義務付けられて
いるようなものであった。

その競技の過酷さ故か、すでに地に伏している相手に対してさえ、
その戦意を根こそぎ削ぐ為の技が存在した。

「巣遁貧愚」はまさにその代表技といえ、その過酷さは熾烈を極めていたらしい。
倒れた対戦者の名を連呼しつつ、公衆の面前でその対戦者の肉体に対し強烈な
踏み付けを長時間繰り替えすのである。
これは肉体的よりも精神的な痛手を狙った鬼畜な技といえ、
「巣遁貧愚(さっさと巣に帰れ、この貧愚め!の意)」という名がつけられた。

『螺裏亜斗』で一時代を築いた腕競戦士「趙(ちょう)」はこの「巣遁貧愚」の
第一人者だったと記録にある。
彼の長髪を振り乱しての巣遁貧愚は、当時の民の目には鮮烈に映ったようだ。
しかしながら、時代が経るにつれ、巣遁貧愚は試合を組み立てられない
未熟な腕競戦士の技と認識され、 この技の連発をすることは、
2流戦士の証といわれるようになってしまったようである。

ちなみに現在のプロレスで使われているつなぎ技『ストンピング』は
言うまでも無く『巣遁貧愚』が語源である。

民明書房刊「中国歴代格闘技全書」より


85 :ブライアン五月 ◆DietT3mf1M :04/05/18 02:06 ID:JrJ7W5FZ
寝る前に爆笑w
「巣遁貧愚(さっさと巣に帰れ、この貧愚め!の意)」ってw
ありがとー!

86 :お前名無しだろ:04/05/18 09:31 ID:AfvttCI6
藤原阿亜鵡刃(ふじわらああむば)

 室町後期の武将。出生年不明〜没年不明。
 藤原阿亜鵡刃は戦国時代に活躍した武将だが、謎が多く、その正体については未だ
不明。陸奥の国出身といわれ、奥州藤原氏の後裔を自称していた。
 戦場での組討に優れ、とくに、切りかかってくる相手の腕を取って、今の柔道でいう
脇固めにとり、肩や腕を砕くのが得意であった。
 何人かの大名につかえた後、自立して「藤原組」を名乗ったが、臣下の相次ぐ離反に
あい、あえなく崩壊。更に、戦場での主役が鉄砲に移り変わるにつれ、藤原のような
古武士の存在価値も薄れていった。
 晩年は各地を周り、大名の前で組討を披露したり、武芸を好む大名の指導をしたようだ
が、やがて人前に姿を見せなくなった。
 一説では南蛮船にのってヨーロッパにわたって、イギリスに至り、後に「キャッチ」と
呼ばれるレスリングに影響を与えたとも言われ、今日アメリカのプロレスで使われる
「フジワラアームバー」こそ、藤原阿亜鵡刃が伝えたものではないかという人もいるが
真相は定かではない。

民明書房刊『知られざる戦国武将マニアック』より

87 :お前名無しだろ:04/05/18 11:06 ID:gX7xul54
足取(たーとる)

時は鎌倉、処々の武将があつまり力比べを行うことがあった。
その時、相手が取るに足らない相手であったさい、腕を丸め
それをアピールすることがあった。それを取るに足らない相手
から「足取」と呼んだ。
近年では新日本プロレスサイキョ戦士の永田氏がロシアのヒョードル選手
相手に行ったのが有名。
後にあのときは死を覚悟したとヒョードル選手はいっている。

88 :お前名無しだろ:04/05/18 13:32 ID:/jxcxqw2
狗逸狗(くいっく)

神話時代、小兵の神である、坂佐尾佐枝命(さかさおさえのみこと)が
自らよりも遙かに大きな格上の神を封じ込める事の総称。
小狗(こいぬ)が大きな狗に勝つ様に似ていることからこう呼ばれる。

勝つには勝つが、あくまでも一時的に封じるだけであり、
格上の神の威厳が傷つかないため、格下の神の信者は
喜び、格上の神の信者の誇りは守られる、という有用な終戦方法。

他の使い手としては、隻眼の神である湖筒実片目命
(こづつみかためのみこと)などが有名。

民明書房刊『やっぱり怖いよ山の神』


89 :お前名無しだろ:04/05/18 15:17 ID:OgdBa19n
挫弧武羅(ざこぶら)

中国宋代末期、異民族の侵攻に悩まされた時の皇帝は
屈強な修羅達を徴集、特に武術に秀でた修羅を選抜、
「武羅」として新たに名を与えた。
 しかし、武羅の任務は過酷で単身敵対勢力に乗り込
んでかく乱するというもので本名、出生は一切伏せられ、
覆面をして人相を隠すという異形であったと言う。
 挫弧(ざこ)という武羅は出陣前に杜撰な変装と
特徴的な肉体と動きから正体が錠持(じょうじ、古代中国の門番)の
尭埜(たかの)であることがバレた。
人は彼を見つけると「錠持尭埜!」とさげすむように呼び捨てにし、
時には集団で「尭埜!尭埜!」と罵声のような連呼を叫んだと言う。
 哀れ、尭埜は皆が正体を知りながら素顔をさらすことも出来ず
覆面のまま寂しく任務につき、宋朝滅亡後も行方はしれなかった。

 この故事から中国では下手な芝居のことを「挫弧武羅」といい、
日本にもこのままの意味で伝わったが年月とともに、下手なものや
取るに足らないもの総称とされた。気性の荒い関西の泉州地方の漁師が
しけで不漁のときに「なんや!雑魚(挫弧)ばっかりや!」と使い出した
のが雑魚の語源であるのはご存知のとおりである。

 また、四国、中国地方では情けないものや女々しいものを「なんじゃ、
武羅じゃぁのう!」と言っていたのがやがて女性的なもの総称をさす
意味に変化。女性の下着ブラジャーの語源になったのは賢明な読者の
よく知るところである。

 民明書房刊 「歴史に消えたトホホな武人達 上巻」より





90 :お前名無しだろ:04/05/18 21:29 ID:demxLvWw
あげときますよ

91 :お前名無しだろ:04/05/19 00:37 ID:OCe3qlr0
銅鑼厳素突不(どらごんすとっぷ)

平安時代末期、音症(おんしょう)氏と箸不(はしふ)氏が
骨肉の争いを繰り広げていた際、立会人であった不二並絶身
(ふじわらのたつみ)が突然巨大な銅鑼を叩き、その唐突さで
周囲を混乱させて事態を収拾した故事に基づく停戦方法。

しかし、収拾出来たと思うのは本人だけであり、火種が
燻ったままになるため、何の解決にもならない。結果として
音症氏と箸不氏はともに国を捨てることとなった。

民明書房刊『ちょっと、お米食べにこない』

92 :お前名無しだろ:04/05/19 10:20 ID:iHzLFvIS
age

93 :ブライアン五月 ◆DietT3mf1M :04/05/19 15:00 ID:B2v5szZJ
上芸(age)

時は江戸時代。戦国の時代が終わり、武士に求められる素養が
武芸から処世術へと変わってしまった。
幾ら腕に覚えがある者でも、其れのみでは立身出世が困難であった事実は
宮本武蔵伝説や池波正太郎「剣客商売」の読者なら御存知の通りである。

世が世ならと嘆く武芸者、それも主に小規模な道場の経営者や浪人者の間で、
芸ある者の地位を向上させるべし、という「上芸」運動が沸き上がったことは
極めて自然な流れと言えよう。

民明書房刊『知られざる武士階級の反乱』


94 :お前名無しだろ:04/05/19 19:59 ID:7IxnoqBs
逸弐山打阿(いちにさんだー)

蜀の欺将軍、闇倒二夫(あん・とうにお)が次元の低い戦いが続き、
士気が低下した際に唱え兵を高揚させたと言われる経。
晩年はこの経を唱えるだけで、現在の数百万円相当の俸禄を
得ることができ、闇は裕福に生活出来たと言われる。

これに追随し、二匹目のドジョウを狙い、「逸弐山庶阿(いちにさんしょあ)」
を唱えた拷流馬(ごうりゅう・ま)という武将もいたが、後に男色戯画の
対象、老婆より財を盗み投獄されている。

民明書房刊『パクってハニー』より

95 :お前名無しだろ:04/05/20 10:07 ID:0cUOQeJy
奈我田労区(ながたろっく)

時は太平の唐の時代、一人の農民が他人の田からさも自分のものの
ように米を栽培し、それで栄えたことから、他人のものを盗み、
さぞ自分のもののように振舞う態度のことをいう。

我田引水もこのことばから出来たというのはいうまでもない。

民明書房刊『教えて!永田サン9つのナゾ』より


96 :ブライアン五月 ◆DietT3mf1M :04/05/20 17:50 ID:AdSyt2BF
逆巣遁貧愚で蹴りage

97 :お前名無しだろ:04/05/22 14:23 ID:M7VjNuhx
帯圧府(たいあっぷ)

中国は宋王朝の時代、比類無き身のこなしで名を馳せた
鞘馬(さや・ま)が猛虎の仮面を被り始めたとされる舞踏装飾。

大河のような動きの速さに鞘馬の体が透けて見え、
「大河馬透(たいがますく)」と呼ばれた。その鮮やかな
動きは童たちの信奉を集めた。

舞踏装飾を作成するにのは王朝よ特別な保護を受けた
工業都市、帯圧府(たいあつふ)に店を構える職人たちであった。
この都市の名前が装飾の名前の由来である。

また、戦より身を引いた鞘馬は甘味狂であったため、動きを
圧迫するほどの贅肉を身につけてしまい、かつての姿は見るべくも
なかった。そのため、「体圧不」こそが正しいと主張する学者も多く、
むしろ近年ではこちらが主流である。

民明書房刊『とっさに使える「ちょっちゅねー」』

98 :お前名無しだろ:04/05/23 11:14 ID:XhM9VryB
雷電「馬鹿な!信じられん!」
J「どうした、雷電?顔色が悪いぞ!」
雷電「あれぞまさしく…」

99 :ブライアン五月 ◆DietT3mf1M :04/05/24 12:10 ID:gbeUTjKc
上芸(age)・その2

気に入ったスレッドが消え去りそうなのに、
ネタが思いつかないときに使う芸。


100 :100:04/05/24 12:10 ID:ZwNUKSMa
100

101 :お前名無しだろ:04/05/24 12:16 ID:PmIkVOSr
叉芸(sage)

清代の中国において清を支配していた満州民族が行なっていた、
三叉槍を用いて舞われた演舞の一種。
槍の回転や上方への突き上げをもって見せ場とする通常の演舞と異なり、
下方への突き下げ、及び地面へ槍を刺す事によって行なうアクロバティックな
動きを肝とする。
皮肉にも後の清国の停滞に伴って盛んとなり、保守的考え方の象徴として扱われる事となった。

後のスレッドフロート式大型掲示板群におけるsageとは、叉芸がその語源となっている
事は言うまでもない。

102 :お前名無しだろ:04/05/24 12:18 ID:7uakHzdt
永田「な なんじゃあれはーっ!
み 見るからにおそろしそうな武器をひっさげた野郎が 横から出てきたぞーっ!」

中西「あ あれを一体どうやって使うっていうんじゃーっ!!」

103 :お前名無しだろ:04/05/24 12:37 ID:PmIkVOSr
鎖蛙辺流大河(さあべるたいが)

蛙を鎖に繋いで大河の元に置くと、例え大河の急流に流されようとも
鎖によって引っ張り上げられれば溺れる事無く済む。

中国明代の陽明学者にして戦略家であった猪安都(ちょ・あんつ)が、
その終生のライバルであった大盗賊信十斗(しん・じっと)が、実は明の奸臣
の援助を受けていただけで、実際は小物であったという事を見抜き、「まるでお前は
鎖に繋がれ大河の辺を流れる蛙のようだ」と例えた事から、自らの実力が無いにも
関わらず、他人の手によって大物のようにふるまわされる滑稽なさまを例えて、
鎖蛙辺流大河と称する事となった。

後の世のプロレス界で猛威を振るったタイガージェットシンのテーマ、
サーベルタイガーが、牙持ちし虎とこの故事とのダブルミーニングである事は言うまでも無いことである。

104 :お前名無しだろ:04/05/24 13:22 ID:iji9L3Es
亡我足(ながた)

明朝末期、中國北西部では現代の総合格闘技の基礎とも言える
格闘技『腕競(わんきょう)』と呼ばれる競技が存在していた。
多くの猛者が己の技量を高め合う中、究極まで研ぎすまされた精神力は
「亡我足(ながた)」と呼称され、修行の最終目標の一つであったと記録にある
「我を亡くして足る。」つまり無心の境地を得る事である。

この「亡我足」の境地を得たものは、眉間の間に「第3の目」が覚醒するといわれ
試合中にその第3の目を発動させるために、片手を額にかざす「型」を取るようになるという。
第3の目より発せられる光の矢は対戦相手の「心」を折ったといわれ、
精神力がものをいう関節技の取り合いの際に、この「亡我足の型」が用いられた。
特に「炉苦」(ろっく。後述)といわれる絞め技の際に多用されたといわれている。

現在新日本プロレスで活躍中の永田選手が、よく額に手をかざす「敬礼」のポーズをとるのは
この「亡我足(ながた)」の故事にちなんでいることは言うまでもない。

民明書房刊「中国歴代格闘技全書」より

105 :お前名無しだろ:04/05/24 13:25 ID:PmIkVOSr
>>104
上手いなぁ・・・。

106 :ブライアン五月 ◆DietT3mf1M :04/05/24 13:28 ID:gbeUTjKc
職人さんが続々と^^

107 :お前名無しだろ:04/05/24 15:00 ID:/V6QhWVm
馬射口(まいく)

中国は晋時代、武将が戦いの後(まれに戦いの前)に
馬上より民に向けて放つ言葉。これにより民の心が大きく
動くため、武将にとっては戦闘力と同等の重要性を持った。

殆どが高揚させるものであるが、羅氏焼邑(らっしゃーきむら)が
晋(晋日本)に攻め込んだ際は、その人の良さから挨拶を
してしまい、戦場でありながら場を和ませたという。その
蛮勇さから「御名様坤蛮話(みなさんこんばんわ)」という
物語が編纂されている。

声の通り・滑舌の良さが重要な要素であるが、後にコンニャクの
英霊として扱われるようになる、銅鑼厳(どらごん)の様な、
何を言っているのかよく分からない馬射口を行う武将も現れた。

だが、銅鑼厳のそれは完成度の低さと絶妙なタイミングで
発せられたため、一部の民に熱狂的に支持を受け、芸人
百合岡張突休(ゆりおかちょうとっきゅう)に
一種の芸として昇華された。

現在のプロレス・格闘技におけるマイクパフォーマンスの
源流となっていることは、意外と知られていない。

民明書房刊『ひと手間加えてびっくりパフォーマンス』

108 :お前名無しだろ:04/05/24 16:48 ID:w0fGWuut
依虞奈娼婦 いぐなしょふ

古の長安の都に「依虞奈」と言う名の娼婦の伝説がある。
この女性は「慧王」けいわん という娼婦宿に居たといわれ、膝の魅力で男性を虜に
したと言われたほどの「美膝」の持ち主であったと言う。言い伝えられている所では、
最も愛されていたとされる「那科武良太子」なかむらのたいし 
と言う若い武将との恋愛が有名である。初対面の大晦日の夜すぐに太子は
「依虞那」の膝に魅せられ、膝に顔をすり寄せ顔が真っ赤に腫れ上がる程だったといわれる。
しかし、宿の主である「峪臥琶」たにがわ の元に太子の父君「上井守」より
太子との交際を絶ちきらせる申し入れがあり暫くの間2人は再会を期しつつ
泣く泣く別離した。その間「依虞那」は「羽入編州」ういりあむすと言う武将を「美膝」の
虜にしていたが1夜の契りのみで別離している。しかし、再会の時が来た。
もう一度愛しい恋人に会いたい一心の「那科武良太子」は皐月22日の夜、再び
出会えた。「重務得無詠」えむえむえい という旅荘の大広間で太子は再会した。
しかし、もはや「依虞那」には「美膝」の面影も無くなっていた。嘆き悲しんだ
太子は「依虞那」を「義露沈蝶九」ぎろちんちょうく と呼ばれる武器にて、
頸をはね、その変わり果てた「依虞那」の膝を永遠に己の物とすべく大切に持ち帰った
と言う。

現在、プロレスにての「ナカムラ・シンスケ」の先祖が太子であり
あれくせいいぐなしょふの先祖が「依虞那」娼婦であるといわれ
今日になっても、この2人の悲恋の伝説に縛られ続けているという。

民明書房刊「美しき膝の魔性の女」より 

 

109 :お前名無しだろ:04/05/24 21:00 ID:Dgo9T2r5
>>108
ネ申

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